芭蕉【1644-1694】
「菊の香りの漂うこの奈良には、遠い昔から多くの仏達が慈顔うるわしく鎮座しておられる」
「菊」は万葉集に一首も無く、平安時代初頭に中国から渡来した推測されます。名称も中国名の「クク」が訛って「キク」に。鎌倉時代、後鳥羽院が菊の紋を好んで刀や持ち物に菊の紋を入れたことが皇室の紋章に。後鳥羽院【1180〜1239】は82代天皇で後白河天皇の孫、安徳天皇の異母弟、文武両道で歌道に特に優れ、和歌所を設置『新古今和歌集』を勅撰。北条義時討伐に敗れ、隠岐に配流、戻ることなく崩御しました。文京区の湯島天神で1日-23日まで大河ドラマの「菊人形」や崖から垂れる下がる形の懸崖菊(けんがいきく)など約2千株を展示する菊祭を開催、秋のお出掛けに観菊を楽しむのも。
目次
霜月(しもつき)
霜降り月 平年、十月はその年の一月と同じ曜日で始まる。
1898年、東京市が誕生した日に由来。都営の美術館や博物館、庭園などが入場無料、都立の小・中・高校は休校になる。身近のイベント情報を探索してみては。
『憲法において、如何なる國もまだやつたことのない戰爭放棄ということを宣言した重大な日でありまして、日本としては、この日は忘れ難い日なので、是非ともこの日は残したい。そうして戰爭放棄をしたということは、全く軍國主義でなくなり、又本当に平和を愛する建前から、 あの宣言をしておるのでありますから、この日をそういう意味で『自由と平和を愛し、文化をすすめる』、山本有三【1887-1974】が参議院議員として、制定携わった強い想いが窺われる。
「此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく」樋口一葉作『たけくらべ』十四章の舞台「浅草鷲神社」は参拝客で賑わう。縁起熊手は運を「かっこむ」福を「はきこむ」鷲の爪を模した熊手で「金運をわしづかむ」と。
北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてくる。
茶事で風炉が終わり「炉」を開く。初夏に寝かせた新茶を初めて使う「口切」の茶事を行う。亥の月の最初の亥の日に行う。茶の正月とも言われる。
1681年のこの日、五代将軍徳川綱吉の長男・徳松の健康を祈って始まったとされる。男子は五歳、女子は三歳と七歳の成長を祝って寺社などに詣(もう)でたことが始まり。昭和41年。きもの文化の普及と振興を図る目的で「着物の日」に制定されている。
5日に国営昭和記念公園で「スポーツフェスタ」 14日に東京体育館でスポーツ教室・トークショーなどが開催される。
春を待つ 事の始めや 酉の市 (宝井其角)正月を迎える最初の祭。
夕方がすぐ真っ暗になり、冬は確実に近づいている感覚に。
女流作家の嚆矢
もとは新嘗祭
三の酉すぎしと燗を熱めにし 鈴木真砂女【1906-2003】
詞 曲 歌唱 加藤登紀子【1943-】
尋常小学唱歌(明治44年ごろ)と国民学校(昭和16年)初等科「うたのほん 下」掲載。
「兵隊あそび」や「あふぐごもんなど」がGHQ統治下に合わず戦後の教科書からは消えた。皇室の御紋は「花びらが16枚の八重菊」がパスポートの表紙に。
見事に咲いたかきねの小菊
一つ取りたい黄色な花を
兵隊遊びの勲章に見事に咲いた垣根の小菊
一つ取りたい真白な花を
ままごとあそびの御馳走に
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①きれいな花よ菊の花、白や黄色の菊の花。
②けだかい花よ、菊のあふぐごもんの菊の花
③日本の秋をかざる花、きよいかをりの菊の花
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