陶淵明【365-427】
『歳月不待人』は中国の文人・陶淵明【365-427】が気儘に作った無題の漢詩「雑詩」十二首中の一首の一節。五十才頃に残りの人生への想いを綴った長い詩の最後の言葉。最後の部分「盛りの年は二度とはない。今日という日は再びは来ない 時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれない」と人生のはかなさを説き時に及んで行楽すべしと謳った語句は人口に膾炙、茶席の掛軸や料亭や居酒屋の色紙などに見かけます。普段は何気なく見過ごす言葉も年の瀬には、心に響くものがあり、過ぎし日々の出来事が去来しますが、想い出に生きるのでは無く「まさに今を行楽すべし」です。
目次
師走(しわす)
ふだんは落ち着き払っている禪師も走るほど忙しい月の意。
1896年(明治29)11月25日に日本で初めて映画が神戸で一般公開、区切りのよいこの日に。1956年、映画産業団体連合会が制定し毎月一日は入場料が1,100円。
『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」とあるが。
1941年(昭和十六年) のこの日、日本海軍のハワイ真珠湾攻撃により三年半に及び、多くの犠牲をもたらした戦争の火ぶたが切られた。現在は憲法に基づく最後の開戦記念日。
一世紀も前なのに古さを感じさせず、今も人の心を打ち続ける小説家夏目漱石【1867~1916】の忌日。中国・韓国でも普遍的に受容され、欧米では二十世紀文学の開拓者、近代日本で初の世界文学とも言われる。東西線・早稲田から喜久井に南東に上る夏目坂 「漱石の父で大地主の直克が命名」に生誕地の記念碑。明治四十年から大正五年の晩年まで過ごし、名作を送り出した「漱石山房」跡地に「漱石山房記念館」。『吾輩は猫である』でデビュー、朝日新聞入社後、『三四郎』『それから』『門』で都会的な恋愛を描いた三部作を「彼岸過宛」「行人」「心」の後期三部作で自我、自意識と人間関係に苦しむ人間の姿が描いている。雑司ヶ谷霊園に墓がある。
ダイナマイト開発で得た巨大な富を得たアルフレッド・ノーベル【1833~1896】の忌日にスウェーデンのストックホルムで催行。今年は1956年結成の広島と長崎の被爆者で構成される全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」が平和賞を受賞した。
1702年(元禄15年)12月14日は赤穂浪士による吉良邸打ち入りの日。高輪泉岳寺と両国吉良邸跡地で開催される。人形浄瑠璃や歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』
年で最も夜が長く、太陽の力が一番弱まる日。この日を境に再び力が甦ることから、太陽が生まれ変わる日「一陽来復」と捉え、厄払いをする。
夕方がすぐ真っ暗になり、冬は確実に近づいている感覚に。
1873年(明治6)より官庁の公休日は12月29~31日と1月1~3日
年越し蕎麦は江戸時代中期からで、元々月末に蕎麦を食べる習慣が大晦日のみ残った。金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことからとも。神社で大祓を行う。
詞・曲 荒井由実【1954-】
フジTV『おそく起きた朝は』の初期のオープニングテーマ曲 『おそく起きた朝は』は1994~2003年放送、2005年から 『はやく起きた朝は』になり、2024年に放送開始30周年を 迎えた長寿番組。松居直美・森尾由美・磯野貴理子が視聴者の 不平・不満・愚痴などを受け、トークを繰り広げる。 「時」は待ってくれないけれど寄り添ってくれる存在。 親切な友達、今年も色々な物語が過ぎて行く。
雨音に気づいて 遅く起きた朝は
まだベッドの中で 半分眠りたい
ストーブをつけたら くもったガラス窓
手のひらでこすると ぼんやり冬景色
今にもあなたが 白い息をはき
通りをわたって この部屋に来る気がして
時はいつの日にも 親切な友達
過ぎてゆくきのうを 物語にかえる
もうすぐ来るクリスマス想い出の日には
また会おうと云ったもう会えないくせに
今でもうしろを ふとふり返れば
あなたが笑ってるような気がして
時はいつの日にも 親切な友達
過ぎてゆくきのうを 物語にかえる (繰返)
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