2022年9月23日「東武朝日新聞」に、今回は大宮校・吉田講師へのインタビューが掲載されました。
着物を着ると、ご機嫌になった幼少期
冬は気温がマイナス25度にも下がる極寒の北海道で生まれた吉田さんは生後4か月の頃、急性肺炎を患い入院することに。当時の医療は今のように進歩しておらず、肺炎で亡くなる人も多かった。小さな吉田さんも生死をさまよい、家族も半ば諦めの境地となっていた時、祖母がどこかで聞いたペニシリン(抗生物質)が効くかもしれないと、医師に進言。藁にもすがる思いだった。早速、ペニシリンを投与するとみるみるうちに回復。祖母の思わぬ閃きで命拾いをする。奇跡はその直後にも起こる。退院した日の夜のこと。入院していた病院が火事で全焼してしまうのだ。もし、入院していたらと思うと、背筋が寒くなるほどの大惨事だった。幼少期は度々病院のお世話になる虚弱体質に悩まされた。ある日のこと、「この子は長く生きられないだろうから好きな事をさせてあげなさい」と、両親が医師から告げられている話声が聞こえてショックを受けた。
苦い薬漬けの毎日で”しかめ面”ばかりしていた吉田さん。それでも着物を着せると笑顔になった。着物は和裁の先生だった祖母が縫ってくれた。これが着物との出会いとなった。 子どもの頃は祖母に縫い方を教わり作った着物を人形に着せて遊んだ。高校に入ると体力もつき、陸上部に入部。男勝りに短パン姿で陸上種目に挑戦することが楽しかった。高校卒業後は大学に進学するつもりだったが、大学は学生運動の真っただ中。地元の信用金庫に勤めた後、叔父叔母を頼りに23歳で埼玉に転居することに。
《次号に続く》
吉田 靜子(ヨシダ・シズコ)
彩きもの学院大宮校講師。
関連項目
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