目次
いろはにほへと 色は匂へど
ちりぬるを 散りぬるを
わかよたれそ 我が世誰ぞ
つねならむ 常ならむ
うゐのおくやま 有為の奥山
けふこえて 今日越えて
あさきゆめみし 浅き夢見じ
ゑひもせす 酔ひもせず
「匂いたつ色の花も散るのに、この世でだれが不変でいられよう。いま現世を超越し、儚い夢をみたり、酔いにふけったりすまい」「いろは歌」は仮名を重複せずに作られた四十七字の呪文で後に手習いの手本として受容され、近代にいたりました。元は日本の歌曲の今様「現代風の意」形式(七五を四回繰り返す)を守りながらも全ての仮名を一回ずつ使う制約の中で作られた奇跡的な歌。そこには仏教的人生観が映し出され、天変地異の世の中で古人は、情報もないままに「人生の儚さ」を謳ったのでしょう。今は情報に惑わされ、自分を失いそうな時代、何はともあれ、多難な一年を乗り越えて新しき年の始まりに希望を持って「浅き夢」を見たいものです。
正月に家族や親戚が集い睦みあう「むつぶ」が「むつき」になったといわれる。
国民の祝日「元旦」の「旦」の下線は地平線・日に昇る太陽。初日の出を拝し
門松で年神様を迎え、若水を供え、雑煮やおせちを食べ、初詣をする。
皇居・宮殿で行われる国事行為。感染防止のため、規模を大幅に縮小して行う。
天皇皇后両殿下・皇族の方々が、三権の長、在日大使等から祝賀を受けられる。
昭和天皇が逝去した翌年の1990年以来の中止。天皇陛下は国民に向けたビデオ
メッセージを送られる。皇后雅子さまが同席するか未定。
東京・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間での往路5区間、復路5区間の217,9kmで
争われる。今年は沿道での観戦を控えるよう協力を呼びかけている。昨年の1・2・3位
は青山・東海・国学院。今年は?
1873(明治6)年から、法律で定められた官公庁での新年最初の事務を行う日。
節分までが「寒」。この日は「寒の入り」、『節分』まで『寒の内』
七草粥は邪気を払う七種の菜を食していた中国の「七日正月」に由来。
春の七草(芹・なずな・御形(ごぎょう)・はこべら・仏の座・すずな・すずしろ)が入った粥を食べ、
一年の息災を願う。日本では平安時代に始まり江戸時代に定着。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ 光孝天皇
門松や注連(しめ)飾りを取り払う。松払い・松送り(関西は1月15日に行うところも)
年神様や仏に供えた鏡餅を下げ、食す。切るは切腹を連想させるので木槌などで割り「切る」「割る」の言葉を避け「開く」という。
振袖は未婚女性の礼装で『万葉集』には袖を振る歌が多い。
動くことによって衰えようとする魂が再生産、健康で判断力を持ち生きてゆけるという「招魂」の信仰による。
今年のお題は「実」。天皇陛下が決められる。飛沫防止や招待人数減で行われる。
1995年のこの日、死者約6300人、30万人以上が被災。「防災とボランティアの日」。早や25年が過ぎ、神戸市では「1.17のつどい」。
一年中で最も寒い時。「寒仕込み」(凍り豆腐、酒、味噌など)を仕込む時期。
日本三大名湯「有馬(兵庫)下呂(岐阜)」の一つ、群馬県草津温泉の民謡。源泉は非常に温度が高いため、江戸時代から湯を板でかき回して水を入れず、適温にするための共同作業の歌。囃子詞(はやしことば)が「チョイナチョイナ」と「ヨホホイ」の二種類があるが、「チョイナチョイナ」は商船学校の学生歌由来説、「ヨホホイ」のつく歌が<草津湯もみ歌>と呼ばれ、埼玉県の機織唄由来の説もある。「チョイナチョイナ」が草津節。都々逸に「お医者様でも草津の湯でも惚れた病は治りゃせぬ」というように高い効能がある。忘年会も余興などで多くの替え歌が作られ、歌われている。
「お茶の友だち 話の仲間 ドッコイショ 慰め合いやら コリャ 助け合いよ チョイナ チョイナ」
草津節
草津よいとこ 一度はおいで
ア ドッコイショ
お湯の中にも コーリャ
花が咲くよ
チョイナ チョイナ
後略
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