⦅夏が来れば思い出す・・⦆空調が発達したといえ、戸外の木陰や涼やかな風や水の流れる自然の中で過ごす夏はまた格別、新しい思い出が生まれる季節です。戦後、生活に余暇が生まれ始めた頃、ピクニックやハイキングが流行、歌や映像がその背景を彩りました。『夏の思い出』は、中田喜直【1923~2000】が尾瀬沼に咲く水芭蕉の光景を思い浮かべ、緩急ある多彩なメロディラインで作曲し、女声混声合唱の代表曲に。妻の中田幸子氏【85歳】は、今も水芭蕉コンサートを主催、今年は生誕100周年コンサートを開催、現役のコーラス指導者として活躍しています。近年、都心に建つ高層ビルでは、木陰や水の流れる広く 開放感のある空間を寛ぎと癒しの場所として提供、旧友と旧交を温め、想い出作りをしてみては。
目次
文月・文月 七夕の短冊に文字を書き、書道の上達を願ったことに由来。
「夏至は外せ半夏は待つな」という戒めで、半夏生の後の田植は秋の収穫量を激減させるといわれ農業の重要な節目の日。タコの足の吸盤のように苗が根付くようにと関西ではタコを食べる習慣があり、昨今全国展開している。半夏生(烏柄杓)の花が咲く頃。
戸時代末期に大ブームとなった朝顔は一時、衰えたが明治初期頃から入谷田圃で栽培され始め、鬼子母神の市は1948年に復活、100軒以上の店が軒を連ねる。
次の大暑までが、一番暑い期間で「暑中」と呼ぶ。蓮が咲き始める。
浅草寺境内を彩るほおずき屋台は浅草の夏の風物詩。46,000日分の功徳があるとされ、縁日は多くの参拝客で賑わう。
明治の国際基準化による改暦により、この時期になったが全国的に8月の旧盆が主流で旧暦の7月15日は首都圏中心の一部の地域のみで行われている。
元は20日だが、2003年のハッピーマンデー制度によりこの日に。
夏の暑さが極まる季節 熱中症予防勧告が毎日のように。
近代作家 芥川龍之介【1892~1927】の忌日。河童の絵を好んだ事に因る。芥川賞は1935年に菊池寛【1888~1948】が制定。20世紀初頭、漱石、藤村らが完成させた言文一致体を次世代が使いこなし近代文学が発展、その代表格が賞に名前を残す芥川で「短編小説」というジャンルを確立した。漱石に絶賛された『鼻』や黒澤明により映画化された『羅生門』は国際映画賞・アカデミー賞を受賞。晩年まで住んだ田端に「文士村記念館・10月まで休館」。23日(日)に滝野川会館で「芥川龍之介シンポジウム」が開催される。
「土用」は「季節の節目」の意味で、春夏秋冬の直前の約18日間のことだが夏の土用辺りは特に暑く、食欲不振になるので精のつくうなぎを食べる風習が定着した。
7月の歌 『夏の思い出』
詞 江間章子【1913~2005】
曲 中田喜直
昭和24(1949)年当時の黄金コンビの詞と曲に石井好子の歌唱で『ラジオ歌謡』として放送されるや否や瞬く間に多くの人の心を捕えた。曲中の尾瀬の人気は飛躍的に高まった。江間は「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う」と述べ、幼少時に住んでいた岩手山近くの水芭蕉の咲く地域で、昭和19年にたまたま尾瀬を訪れ、目にしたのが一面に咲き乱れる水芭蕉で、その時の「夢心地」を表現したという。
昭和30年代後半のハイキングブームと曲のヒットが相まってハイカーが急増、自然が荒廃したが、関係者の努力で今は姿を取り戻している。
夏がくれば思い出す
はるかな尾瀬遠い空
霧のなかにうかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が咲いている
夢みて咲いている 水のほとり
石楠花色にたそがれる
はるかな尾瀬 遠い空
・-トップページに戻る―・