「春風が吹いたら香りを風に乗せて送っておくれ、主人がいなくなっても春を忘れないでおくれ」
菅原道真【845~903】
大宰府に左遷された道真が、戻れないであろう我が家の梅を詠んだ有名な歌。四季折々に吹く風には表情や情景が浮かんで風情があり、独特の呼称があります。
【東風】は、東から吹いてくる春風。道真が不遇の死後、災害が相次ぎ、それが道真の祟りだと恐れられ、鎮魂の為、天神として祀ったのが今の天満宮。「北野の天神さん」こと北野天満宮は、全国に約2000社あるとされる天満宮、天神社の総本社。1607年造営の本殿は国宝で、桃山時代の華麗で荘厳な装飾が特徴。学問の神・道真を祭ることから、湯島天神亀戸天神など、1・2月は受験生で溢れます。小石川後楽園・新宿御苑・羽根木公園など身近に観梅スポットも多く、桜に先駆けて戸外に繰り出し、新しい年の空気に身を置いてみたいものです。
目次
如月(きさらぎ)
寒く着物を更に重ねて着る「着更着(きさらぎ)」に由来。
立春の前日「季節を分ける」ので節分、本来は春夏秋冬の全てにある。季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、それを追い払う豆まきは「魔(ま)滅(め)」の意から新春に魔除けの意味で行われる。大田区の池上本門寺や成田山新勝寺では、芸能界の歳男歳女が豆を撒き、多くの参拝客で賑わう。
987年(昭和62)海苔業者が制定。節分の夜に恵方に向かい太巻きを食べると幸福になるという言い伝えからこの日に。今年の恵方は東北東。
春立つ日。昔はこの日が正月一日。以降初めて吹く南風を春一番と呼ぶ。禅寺では早朝、厄除けのために門に左右対称になる「立春大吉」と書いた紙を貼る。
1911年(明治44年)に日本初の洋風劇場、帝国劇場が完成したことに因る。オペラバレエや歌舞伎、シェイクスピア劇など上演、当時の「今日は帝劇、明日は三越」が流行語にもなった。現在の劇場は1966年竣工の二代目。半世紀以上に亘り 親しまれたが、老朽化による建て替えの為、来年二月に休館する。
1967年(昭和42年)から実施。かつて紀元節(神武天皇即位の日)として奉祝されたが戦後廃止。建国の日ではなく、建国を記念する日。
1207年、ローマの皇帝クラウディウスが結婚を禁じた事に反抗し殺された聖人バレンチヌスを祭る日に由来。後、男女の恋愛に結びつけられ、日本には戦後に伝わり、女性から男性に贈るのは、チョコレート会社の販促によるとか。
雪が雨へと変わり、積もった雪や氷も溶け水になる頃。
1960年(昭和35年)御生誕、今年六十四歳になられる。宮中では祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われる。
平安時代の学者・漢詩人・政治家、菅原道真【845~903】の忌日。忠臣として名高く、醍醐朝では右大臣になったが藤原時平の讒言(ざんげん)により、失脚死後は怨霊による「清涼殿落雷事件」で日本三大怨霊の一人とされ、後に天満天神信仰の対象に。人形浄瑠璃・歌舞伎『菅原伝授手習鑑』や落語の「初天神」、漫画『応天の門』宝塚歌劇で舞台化。
明治時代に流行した俗謡『しょんがえ節』が元の江戸端唄(はうた)。花柳界の芸妓を花や貝に例えている。唄の合間の「しょんがえな」は「しょうがないな」ではなく「ああそうかいな・それからどうした」という軽い合いの手でお囃子を入れる。歌詞の「梅・桜・柳・山吹」は芸妓達の暗示で、梅は若い芸妓、桜は上の姐さん、柳は移り気、山吹(ヤマブキ)は実を結ばない浮気性。実をつけない花・山吹を詠んだ歌に「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」 兼明親王立川談志の落語『太田道灌』でも有名。「梅は咲いたか」は立川志の輔の「出囃子」。
梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ風次第 山吹や浮気で
色ばっかり しょんがいな
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