(道端のうまらの枝先まで這う豆かずらのようにからまりつく若君。そんな君を残して別れゆかなければならないのか)
丈部鳥【万葉集】
5月と言えば、思い浮かぶ花「薔薇」。今では薔薇と言えば、西洋のバラが中心ですが日本では「ノイバラやハマナス」などの原種のバラが古代から自生し、源氏物語や枕草子にも記されています。茨城県は奈良時代の常陸国風土記に「茨城郡」(ウバラキノ郡)に由来。
紀元前、クレオパトラは薔薇を愛し、シーザーやアントニウスのため、バラを浮かべた風呂に入り、ナポレオンの妻・ジョセフィーヌは収集家としてエピソードも多彩。創立110年を迎えた宝塚歌劇でも初演より50周年の「ベルサイユのばら50」を公演、鳳蘭・安奈淳など歴代スターが集結し話題に。1970年の楽曲「五月のバラ」はブレンダ、リーなど多くの歌手がカバーしてスタンダードに。横浜周辺のイングリッシュガーデン · 港の見える丘公園 は散策のお薦めスポット。
目次
皐月(さつき)
皐(さ)は「神に捧げる稲」の事。田植の月なので早苗の略など。
来は五月祭で夏の訪れを祝うヨーロッパの祭典。1886年のこの日シカゴで労働環境改善を求め、労働者のストライキが起こり全国展開したことで労働者の祭典に。世界では祝日の国が多い。日本の第1回メーデーは、1920年に上野公園で開催。
立春から八十八日目。「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る・・・茶摘み」
1947年施行。「主権在民」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」三つの柱を持つ。改憲を望む声の中、高く評価する人も多く、改憲派、護憲派のそれぞれが集会を持つ。
自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ。
作家、演出家、映画監督、詩人、歌人、俳人、競馬評論家など多くの顔を持つ伝説のマルチアーティスト・寺山修司【1935~1983】の忌日。
「さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう」「この世でいちばん遠い場所は自分自身のこころである」など名言を遺し「言葉の錬金術師」「昭和の啄木」などの異名を持つ。教科書にも載る名歌に、
マッチ擦る つかのまの海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国ありや
端(はじめ)の午(うま)の日で五月最初の午の日に由来。強い香気で厄を祓う菖蒲(尚武)の節句。鎧兜を飾り、菖蒲湯に入り柏餅や粽を食して祝う。
夏立つ日。爽やかな青空に鯉のぼりが泳ぎ、一年で最も過ごしやすい季節。
祝日法の改正により1973年(昭和48年)年4月から設けられた休日。
日本三大祭(他・京都の祇園祭、大阪の天神祭)の一つ。江戸三大祭(他・山王祭深川神幸祭)の一つ。今年は陰祭(二年の一度)で「神幸祭と神輿宮入」が行われない。
20世紀初頭、米の女性が「亡母をしのぶ」という花言葉の白いカーネーションを霊前に手向たことに因る。
一行の文 母の日の 贈り物 稲畑廣太郎【1957-】
江戸風情の残る下町浅草が一年でもっとも活気付く江戸四大祭の一つ。神輿渡御で、約180万人の人出を数える。
草木が茂って天地に満ち始める頃。
詞・編曲・歌唱 森繁久彌【1913-2009】
森繁が知床に住む孤独な老人を描いた映画「地の涯に生きるもの」の撮影で羅臼に滞在したおり「オホーツクの舟歌」に、森繁自身が添詞をした楽曲。1962年の紅白歌合戦で歌われ、1970年に加藤登紀子が歌って大ヒット。森繁久彌は昭和の芸能界を代表する国民的俳優の一人で、映画・テレビ・舞台・ラジオ・歌唱・エッセイなど幅広い分野で活躍、1991年に大衆芸能分野で初の文化勲章を受章。2010年に世田谷区の千歳船橋駅から旧森繁邸への区道を『森繁通り』と命名、14年に『屋根の上のヴァイオリン弾き』で演じたテヴィエ姿の胸像「テヴィエ像」が設置された。
知床の岬にハマナスの咲く頃
思い出して遅れ俺たちの事を
飲んで騒いで丘に登れば
はるか国後に白夜は明ける
旅の情けか酔うほどにさまよい
濱に出てみれば月は照る波の上
君を今宵こそ抱きしめんと
岩影に寄ればピリカが笑う
別れの日はきた知床の村にも
君は出て行く峠を超えて
わすれちゃいやだよ
きまぐれカラスさん
私を泣かすな「白いカモメを」
・-トップページに戻る―・