
「五月」の青空の下、心浮かれるような散歩の歌。美しい季節を愛でるこの歌は、モーツァルト【1756-1791】が晩年に書いた歌曲。明治23年「上野の岡」として発表。昭和22年に青柳善吾【0884-1957】の作詞で六年生用の教科書に掲載。暑くも寒くもなく湿度も低く、気圧が安定し過ごしやすい日が多い五月、新緑から万緑へと移りゆく貴重な時期にちょっと遠出して、歌を軽く口ずさみながら散策すると新しい自分に出会えるかも。齢(よわい)を忘れ、新しい何か始めようと思うかもしれません。爽やかな「うれしたのし」の五月は、瞬く間に過ぎ行き、梅雨を迎えます。
楽しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにおう
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき
うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌う
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき
目次
五月は田植月で早苗月が早月に。
皐月の皐は水辺の平地、神に捧げる稲の意味も。
元はヨーロッパで夏の訪れを祝う「五月祭・MayDay」。1886年に米・シカゴで低賃金と長時間労働に抗議した労働争議が起き、以来労働者の祭典に。
「夏も近づく」立春から八十八日目。一番茶摘みの頃で唱歌「茶摘み」は 有名。末広がりの「八」が二つで縁起が良く、特に新茶は不老長寿や無病息災に。
駿河路や はなたちばなも 茶のにほひ 芭蕉
新茶の香 真昼の眠気 転じたり 一茶
1947年(昭和22年)に日本国憲法が施行。改憲を望む声もあるが、平和憲法を高く評価する人も多く、改憲派、護憲派が多くの媒体でアピールする。
元は緑を愛した昭和天皇の誕生日4/29〔1989-2006〕GW構成上この日に。
「きらめく季節にたれがあの帆を歌ったか つかのまの僕に過ぎてゆく時よ」と鮮烈なデビュー作「われに五月」の中で謳い、五月を愛し、五月に亡くなった鬼才、寺山修司【1935〜1883】の忌日。「言葉の錬金術師」と称され、アングラ演劇の旗手として劇団「天井桟敷」を主宰、戦後演劇の一時代を担った、共にしのぎ削った紅テントの「状況劇場」主宰の唐十郎【1940〜2024】は奇しくも同じ日に逝った。今年、生誕九〇年を記念し生誕地の青森三沢市の記念館で「フェスティバル2025/春」が開催。
夏立ちし 瓶につつじの 花古き 正岡子規【1867-1902】
「菖蒲=尚武の節句」男子の祭に。魔物を払う菖蒲を風呂に入れたり、「滝を登り切った鯉は竜になる」の故事に因み、鯉のぼりを飾った。新芽が出るまで古い葉が落ちない柏の葉で包んだ柏餅食べ、子孫繁栄を願った。柏餅は東、ちまきは西日本が多い。
かつての観音祭・船祭・示現会が三社の祭で1872年から17・18日に。現在は3週の金・土・日。浅草神社の三社大権現社に因む。古式に則った田楽「びんざさら舞」を奉納、神輿も繰り出す。昔は浅草寺と一体だったが神仏分離により浅草神社の祭に。江戸三大祭を謳った狂歌に「神輿深川(深川祭-8月)山車神田(神田祭・5/9-5/11)だだっぴろいは山王様(山王祭・4月)には含まれず「四大祭」の一つとして初夏を彩る。
稲に穂がつく頃 (少し満足)の意。万物
詞 一青窈【1976-】
曲 マシコタツロウ【1978-】
題名は、一青窈(ひととよう)が学生時代に通った二子玉川の「ドックウッドプラザ」に因む。ハナミズキはアメリカ原産で、日本では「花水木」、英語では ‟dogwood”で、1915年にアメリカから寄贈された。2001年のアメリカの同時多発テロ時、現地在住の男性の友人と彼の恋人の幸せを願い作詞、2003年リリース。第58回紅白歌合戦では学生時代の友人と共に手話も使い「ハナミズキ」を披露。反戦歌でもあり、歌詞の「君と好きな人が百年続きますように」は未来への希望や平和への思いを込めた表現。。
空を押し上げて手を伸ばす君
五月のことどうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう庭のハナミズキ
薄紅色の可愛い君のね果てない夢が
ちゃんと終わりますように
君と好きな人が百年続きますように
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