
紫陽花の色の移ろいを人の心の変化に重ね、人の無常を表現した歌と句。紫陽花の元の名は「あずさい」(あず」は(集まる)・(さ)は真・(い)は藍で(真の藍が集)万緑が過ぎ、梅雨が来る頃、曇天の下、鮮やかに咲く紫陽花は 雨に濡れ咲く姿がけなげさで心惹かれ、変わる色に心の移ろいを感じ、歌人の歌心を呼び覚ますよう。古くは万葉集の二首のみでしたが、品種改良後、多種多様な美しさで人気の花に。鎌倉長谷寺、明月院、松戸本土寺、浜離宮、六義園など名所も身近にあり、家に閉じこもりがちな、この時期,お気に入りの傘を片手に散策し、鬱陶しい日々を慈しんでみたいものです。
目次
水(み)無月(なつき)の「無(な)」は「の」と読み「水の月」
『水無月や 根岸涼しき 篠の雪』 子規
※「篠の雪」は創業333年の豆腐料理店「根岸笹乃雪」江戸時代、初めて絹豆腐を作った店で現存。
中国由来の平安からの宮廷行事。近年の気候の変化で暦の上のみなりつつあるが、伝統として守り続けたい年中行事。特に和服では伝統を守り袷(あわせ)から単衣(ひとえ)に、柄も紫陽花や百合など変化を楽しむ。
イネ科植物の穂先にある細い毛のような部分「芒」のある穀物の種をまく時。
芸事は「6歳の6月6日」からのルーツは世阿弥の『風姿花伝』の叙述「この芸において大方七歳〔数えで六歳〕をもて初とす」による。
1972年に当時のニクソン大統領が「6月の第3日曜は父の日」と唱え、アメリカでは正式な祝日で、日本も準じた。黄色は「幸福」「尊敬」「感謝」の象徴で、バラはアメリカが薔薇を贈ることから「黄色のバラ」が日本独自の習慣に。
太宰治【1909-1948】が1948年に発表し短編小説「桜桃(おうとう)」に因む。現実逃避に酒を飲む父親が居酒屋で桜桃を食べながら「子どもよりも親が大事」と心情を吐露して終わる作品『桜桃』因む。青森の大富豪の次男で、旧家に生れた宿命と古い沼のような家からの逃亡を運命として凝視し、常に道化のように振舞っており、上京して、三島由紀夫に「この人の田舎者のハイカラ趣味と自分に適しない役の演じ方嫌い」と評されたが、現在も若い世代に人気が高いのは「人間の弱さ・孤独・社会への違和感」などを 鋭く描き出しているからといわれる。代表作に『斜陽』『人間失格』『走れメロス』『津軽』など。
太陽がもっとも高い夏至点に達する時。昼が一番長い日。
平成元年に逝去した昭和を代表する歌手・美空ひばり【1938-1989】の忌日。主演映画『リンゴ園の少女』の主題歌『リンゴ追分』に因む。当時、戦後最大の売り上げた曲。9歳から天才少女歌手として江利チエミ【1937-1982】雪村いづみ【1937-】と共に「三人娘」として活躍、歌謡界の女王と称された。没後、女性初の国民栄誉賞。「柔」「川の流れのように」「愛燦燦」等。ひばりが生活した当時のままの庭や和室、居間が記念館として目黒青葉台に現存。
六月末日の神事で、半年の間に身についた罪と穢れを祓う。
詞 内山田洋とクール・ファイブ
1968【昭和44】年
作詞の永田貴子(たかし)は、当時、佐世保のクラブ「銀馬車」の音楽担当で専属バンド「クールファイブ」とソロ前川清のために書き、全国的にヒット。昭44年は大学闘争の嵐が拭き荒れ、東大、教育大等の入試が中止の年。作曲の彩木雅夫は、他に森進一『花と蝶』『年上の女』、殿様キングス『なみだの操』。 「長崎」を冠した歌も多く、青江三奈『長崎物語』、渡辺はま子『雨のオランダ坂』藤山一郎『長崎の鐘』など。オペラ『蝶々夫人』 の舞台として世界的にも有名な、涙や雨が似合う情緒溢れる土地
あなたひとりに 賭けた恋 愛の言葉を 信じたの
探し 探し求めて ひとり ひとり彷徨えば
行けど切ない 石畳み
ああゝ 長崎は今日も雨だった
頬にこぼれる 涙の雨に 命も恋も 捨てたのに
こころ こころ乱れて 飲んで 飲んで酔いしれる
酒に恨みは ないものを
ああゝ 長崎は今日も雨だった
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