
三伏門を閉して一衲を披す
兼ねて松竹の房廊を蔭う無し
安禅は必ずしも山水を須いず
心中を滅得すれば火も自ずから涼し
「心頭滅却すれば火もまた涼し」は漢詩「夏日第五空承認印」の一節。禅語で「座禅は必ず静かな場所が必要ではなく、心の雑念を払い去れば火の中も涼しく、無我の状況でも苦しみを感じなくなる」の意。このような「精神論」が通じないような気候変動が世界的に起り、生活空間の快適さを追求した空調設備の見返りかのような、暑さを感じる昨今です。春と秋が無くなってしまったような一年は、ゆっくりと立ち止まって、自分を見直す時さえも見失ってしまいそうです。そんな時の手段として心を無にして、身体を動かすことに集中するのもその一つ。個々の境遇に合わせ、考えを巡らしてみたいものです。
目次
葉月 葉月 現在の九月から十月上旬頃。葉が落ちる月。
朔は(つきたちが変化)。天正八年(1590〕家康が江戸城に入城した日。
死後も重要な大衆文化のアイコンとして、多くのアートや映画の題材になった女優、マリリン・モンロー(1926~1962)の忌日。二枚のキャンバスに50枚のマリリンモンローをプリントした「ショット・セージ・ブルー・マリリン」1964年作はアンディ・ウォーホル【1928-1987】の有名な作品で一発の銃撃で四枚のキャンバスが撃ち抜かれたという背景も評価され、特別な価値を持つ。私生児として 生まれ、工員・モデル・女優へ華麗な転身。「ジョー・ディマジオ、アーサー・ミラーとの結婚と離婚、ジョン・Fケネディとボビー・ケネディ 兄弟との恋愛、そして謎の死…」などエピソードは数え切れなかった。存命なら白寿(99歳)。
約14万人が死亡、25万人(原爆症を含む)以上が犠牲に。今年八十年周年を迎える。世界遺産の原爆ドームは大正4年(1915年)設立当初は「広島県物産陳列館」今も広島の空に屹立、原水爆被害者団体協議会と共に平和の世界を望んでいる
秋立つや きのふの昔し 有のまま 加賀千代女【1703-1775】
父の観阿弥とともに猿楽を能楽として大成し「初心忘るべからず」などの名言
含む『風姿花伝』などの日本最古の芸論書を残した世阿弥【1363?-1443?】の忌日。能は観世流として現代に受け継がれている。足利義満の庇護の下、当時の貴族・武家社会が尊ぶ幽玄の好みに合わせ「言葉、所作、歌舞、物語」に幽玄美を漂わせる[夢幻能]を大成させた。代表作に『高砂』『井筒』『実盛』など50曲近くあり、現在も能舞台で上演されている。
約7万4千人が犠牲に。平和記念像は神の愛と仏の慈悲を象徴し右手は原爆の脅威、左手は平和、横の足は投下直後の長崎の静けさ、縦の足は 救った命 閉じた目はは戦争犠牲者の冥福を祈っている。
旧盆に先祖を供養する東北の旧盆に、長期休暇を合わせ1958年に当時の国鉄(現・JR)が東北周遊券を発売、観光キャンペーンしたのが定着。今では「青森ねぶた」「秋田竿燈」「仙台七夕」他「山形花笠」なども加わり全国的に人気を集めている。
古来からの祖先崇拝信仰と仏教が結びついた行事。
第二次世界大戦の日本の降伏を記念し、戦没者を追悼し、平和を祈念する日とされて いる。毎年、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われる。
京都五山で大文字など送り火を焚き迎えた精霊を再び冥府に送る。
暑さも峠を超えると言われているが。
詞・局・歌唱 森高千里【1969-】
1941年(昭和16年)文部省「うたのほん 下」
聴き手に??と思わせる独創的な歌詞、他に類を見ない耳に残るフレーズは日常生活にすんなり入って思わず口ずさむ歌。代表曲は『私がオバさんになっても』1992年作。森高は多くの楽器を操るマルチプレーヤーでライブを中心に雑誌連載や音楽番組のMCなどの分野で活躍。実父はロカビリーバンドでオレンジ・ヒルの森高茂一、夫は俳優の江口洋介【1968-】。
迷いながら歩く くじけながら生きる
悩みは絶えないもの それが人生だわ
おかしければ笑う 楽しければ唄う
夢追い掛けている それも人生だわ そうね
二・三番略
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