目次
枕草子【1002年】
「空が寒いので梅の花に見間違えるように散る雪に少し春を感じる気がします」
この歌は宮中連歌の席で藤原公任【966~1041】が下の句『少し春ある心地こそすれ』と詠んだのに対し、清少納言【966?~1025?】が上の句『空寒み花にまがへて散る雪に』と返歌したもの。本歌は白楽天の律詩「南秦ノ雪」の第四句「二月山寒小有春」。「春は名のみの風の寒さ」の中、ひと雨毎に春の近づきを楽しむ、そんなささやかな季節その変化に気づくことも無くなってしまったこの頃、「春ある心地」を感じてみたいものです。
如月
寒さの為 更に衣を重ねて着る【衣更着】。中国の2月の異称。
テレビ放送記念日 1953(昭和28)年、NHK東京放送局が日本初のテレビの本放送を開始70周年を記念して、ほぼ全ての定時番組と主な特集番組を放送する予定。
立春・立夏・立秋・立冬の前日であるが、春だけは特別、旧暦では春=新年を迎える前に邪気を払い福を呼ぶために、宮中行事の儺(ついな・鬼やらい・豆うち)の名残りが「豆まき」。池上本門寺、芝・増上寺/成田山の節分追儺式などが有名。その年の恵方(今年は南南東)を向いて、巻き寿司を食べる習わしが近年盛んに。
「立春正月」は旧暦(太陰太陽暦)の年頭。二十四節気の最初の節。 八十八夜、二百十日などは、この日から数える。暦の上では旧冬と新春の境目。
何をもって建国とするかは、国家により異なり独立記念日とする国も。日本は神話、古事記、日本書紀などで初代の神武天皇が即位された日に。昭和41年制定。
生誕100年を迎える司馬遼太郎【1923~1996】の忌日。小説『菜の花の沖』に因む「第26回菜の花忌シンポジウム」が出身地東大阪にある記念館近くの「東大阪市文化創造館」で「司馬作品を未来へ」と題し開催。『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『街道をゆく』など。読者アンケートで人気一位の『坂の上の雲』は昭和の「国民文学」と呼ばれ、明治初期から日露戦争までを描き、時代を超え愛されている。
70年代後半「女性→男性」にチョコを贈る日本型バレンタインデー が拡がり、後「義理チョコ・友チョコ」などキリスト教関連は意識せず贈答習慣に。
花と月を愛し人生を詠い、無常の世をいかに生きるか問うた歌人・西行【1118~1190】の忌日。出来るなら釈迦の命日に桜の花の下で死にたいと願い(旧暦なので三月中旬)願いどおりその日に没した。2010年、伝承研究の為『西行学会』が設立。
願わくは花の下にて春死なん その如月の 望月の頃
山家集【1184年頃】
温かさに雪が雨になり氷がとけ始める頃。雛人形を飾りつけると良縁に恵まれるとも言われる。
第126代天皇・今上(きんじょう)徳仁(なるひと)陛下は63歳に。令和初の一般参賀が行われる。
2月の歌 『寒い朝 』
詞 佐伯孝夫【1902~1981】
曲 吉田正【1921~1998】
1962年、吉永小百合【1945~】と和田弘とマヒナスターズの歌唱でヒット。
吉永のデビュー曲。石坂洋次郎の『寒い朝』の映画化「赤い蕾と白い花」の主題歌。
冒頭の「北風吹きぬく寒い朝は・・」は、温暖化や空調設備の普及で感じることが少なくなったが青春歌謡の代表曲。吉田正【1921~1998】は2400曲ほどの作品中で最も好きな曲の一つの理由として、シベリア抑留中に味わった極寒の朝と、それでも失わなかったかすかな希望を思い出すからだと。
2005年から故郷日立市の常磐線の日立駅の下りホーム発車メロディに。
1 北風吹きぬく寒い朝も
心ひとつで暖かくなる
清らかに咲いた可憐な花を
緑の髪にかざして今日もああ
北風の中に聞こうよ 春を
北風の中に聞こうよ 春を
2 北風吹きぬく寒い朝も
若い小鳥は飛び立つ空へ
幸福求めて摘みゆくバラの
さす刺いまは忘れて強くああ
北風の中に待とうよ 春を
北風の中に待とうよ 春を
・-トップページに戻る―・