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六月の山は青く、万緑の季節。「万緑」は中国詩人・王安石【1021-1086】の「詠石榴詩」の一節「万緑叢中紅一点」の語句「紅一点」の語源。
『分け入っても分け入っても青い山』は不安定な句ながら情景が眼前に迫って来るようです。作者・種田山頭火【1882~1940】は教科書にも掲載された大正・昭和の俳人。季語や五・七・五という俳句の約束事を無視し自身のリズム感を重んじる「自由律俳句」代表的作家。山頭火(さんとうか)は、山口県防府の大地主の長男に生まれ、実家の没落後、出家するも寺を出て放浪生活を送り、その波乱万丈の生涯で多くの歌を生み出しました。父の放蕩に因る母の自死を少年時代に経験、自然の中で自分の死に場所を探す旅の中、呟くように自由に詠んだ句は時を超えて、心の深部を揺らすようです。
水無月 無は「の」と読み、(水な月)は(水の月」で水の多い月。梅の実がなることから、梅雨。
中国由来の平安時代からの宮廷行事。10月1日に夏服から冬服に。「更衣」は天皇の寝所に仕える女官で源氏物語の主人公・光源氏の母は「桐壺の更衣」。江戸時代から6月1日と10月1日に。明治以降、官公庁や学校など行うが日付は緩やかに。着物は、袷(あわせ)から単衣(ひとえ)と変化を楽しむ季節。
麦が熟し、収穫の「時=秋」であることから「麦秋」。小津安二郎監督による1951年公開の『麦秋』のラスト、一人娘⦅原節子⦆を嫁がせ田舎に越した老夫婦⦅笠智衆・東山千恵子⦆が見つめる、さわさわと揺れる麦畑が印象的。
1947年(昭和二十二年)に日本国憲法が施行。改憲を望む声 もあるが、戦争の抑止力として平和憲法を高く評価する人も多い。
稲、麦など芒(のぎ)のある作物の種を蒔く時期
邦楽の日,楽器の日 昔から芸事は6歳の6月6日から始めると上達すると言い伝えがあり、その道具の楽器の記念日にと全国楽器協会が制定。
第三日曜日 日本ファーザーズ・デイ委員会が「愛する人の無事を願う」黄色をイメージカラーに、花言葉が「献身」「さわやか」の薔薇から黄色のバラが一般的に。
新戯作派・無頼派の小説家・太宰治【1909~1948】38歳の忌日。心中した玉川上水に遺体が上がったのが誕生日でこの日に。晩年の短編「桜桃」に因む。小説の冒頭「子供より親が大事と思いたい::」は有名。三鷹禅林寺の森鴎外【1862〜1922】 の墓の斜め前に墓がある。津軽の金木町の生家は「太宰治記念館」として現存。
太陽がもっとも高い夏至点に達する時。昼が一番長い日。
「リンゴ追分」に因む。昭和を代表する歌手、美空ひばりの52才の忌日。平成元年に逝去。1937年、横浜市磯子生まれ、9歳から天才少女歌手として評判に。江利チエミ、雪村いづみと共に「三人娘」として活躍後、歌謡界の女王と称される。没後、女性初の国民栄誉賞。約1000曲中の代表曲に「柔」「川の流れのように」「愛燦燦」等。当日、元NHKアナ・石澤典夫等出演のコンサートが磯子の杉田劇場で開催。
6月末日の神事で、半年の間に身についた罪と穢れ を祓い清める行事。疫病除けの「茅の輪くぐり」が行われる。
6月の歌 『晴れたらいいね』
詞・曲 吉田美和 DREAMS COME TRUE
1995年NHK連続テレビ小説『ひらり』の主題歌。ワンコーラスでハ長調・ハ短調変ホ長調・ヘ長調と転調を多用したことを酷評する音楽家もおり、黛敏郎は「転調の多さに加え「結尾で主調に戻らない」「日本語の単語として本来つながって歌われなければならない部分に休止が入っているのはおかしい」など『題名のない音楽会』で批判を繰り広げた。1995年に高校の音楽教科書に掲載。吉田の故郷で北海道池田町の風景をイメージして作詞された。
山へ行こう 次の日曜
昔みたいに 雨が降れば
川底に沈む橋越えて
胸まである 草分けて
ぐんぐん進む背中を
追いかけていた 見失わないように
抱えられて 渡った小川
今はひらり 飛び越えられる
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