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「世界で最も短い詩」、俳句。五七五の十七音にさまざまな思いを込め、想像や連想を喚起させる奥深い文芸。昭和初期の「ホトトギス」黄金時代を築いた山口誓子の代表句。曼珠沙華(彼岸花)はサンスクリット語で「天界に咲く花」。 おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくると仏教の経典にあります。花の時期には葉がなく葉の時期に花がない普通の草花とサイクルが逆で「葉見ず花見ず(はみずはなみず)」の名称も。
「毎年、彼岸に一斉に花が咲く」ので古来より人々は霊的な何かを感じたのでしょう。埼玉日高市の「巾着田曼珠沙華まつり」は500万本の花が有名。東京の小石川後楽園・野川公園など花言葉は「◆あきらめ ◆再会 ◆悲しい思い出 ◆また会う日を楽しみに ◆情熱」など。
「福島」に復りたい白曼珠沙華 / 瀧春樹
あかあかとあかあかあかとまんじゆさげ / 角川春樹
長月(ながつき) 月が長い時間にわたって綺麗に見られる月。
923年に発生した関東大震災に因み、伊勢湾台風が襲来した翌年の1960年に制定。例年は各地で防災訓練が行われるが今年は、中止する所が多い。
昭和二年(1927)18世紀、仏で発生した(歌・踊り・寸劇の華やかなショー)レビューを欧米の劇場視察から帰国した岸田辰彌【1892- 1944】が制作「モン・パリ」として、初演した日。大階段やラインダンスの登場など、「宝塚歌劇スタイル」を確立した。
夜中に大気が冷え、草木に朝露が宿りはじめ、降りた露が白く光る。
何事も 過ぎてゆくもの 白露の日 稲畑汀子【1931~】
数の最大値「九」が重なることから重陽で古代中国ではめでたい日菊の花の鑑賞や長命効能の菊酒を嗜む菊花宴(きっかえん)の最古の記録は天武天皇十四年(685)年。
菊の香や 奈良には古き 仏たち 松尾芭蕉
近代の俳句、短歌、新体詩、評論・随筆に多大な影響を及ぼした正岡子規【1867~1901】の忌日。辞世の「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」因む。『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』など。生地・愛媛県松山に子規記念博物館。親友・夏目漱石は訃報をロンドンで、十一月に高浜虚子の手紙で知る。
筒袖や秋の棺に従わず 手向くべき線香もなくて暮の秋 漱石
晩年の住居・台東区根岸に子規庵、上野公園内に子規記念野球場が現存。脇に「春風や まりを投げたき 草の原」の句碑。
(二十日から二十六日)の入り。収穫したての小豆で「おはぎ」を作る。
2003年から第三月曜日 国民の祝日
暦八月十五日。中国から渡来、平安貴族らに広まり、江戸時代に民衆化。ススキ、月見団子、農作物(芋類)などを供える。秋の七草ススキの鋭い切り口が魔除けになるとされ、収穫物を守り豊作を願う意味が。
「世界の停戦と非暴力の日」とし、この日は敵対行為を停止する。
前日と翌日の両方を「国民の祝日」に挟まれた平日
国民の祝日。彼岸と此岸が最も通じやすくなる日お墓参りも多い。昼と夜の長さがほぼ同じに。
9月の歌 『まつぼっくり』
—昭和十一年 (1936) 手遊び歌
当時、小学一年生の広田孝夫の詩に、小林つや江先生が曲を付けた。両手でまつぼっくりの形を作り頭の上で「高いお山」そして糸巻きのように両手をクルクル回して「ころころ♪」と続き、サルの真似をしながらムシャムシャまつぼっくりを食べる仕草で歌う。「まつぼっくり」は 広辞苑の漢字表記は「松陰嚢」。「ふぐり→ほぐり→ぼくり→ぼっくり」と転訛。松の果実のような物。松傘、松笠とも書く。「松毬」は「ちちり」「ちちりん」。ハロウィン🎃やクリスマスリースの材料に最適だが、虫の卵などが付いているので熱湯消毒を。
まつぼっくりが あったとさ
高いおやまに あったとさ
ころころころころあったとさ
お猿がひろってたべたとさ
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