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— 読人しらず 古今集
秋風の吹きはじめた日から天の河原に立ってあなたを待たない日はありません
7月7日は旧暦では「秋」1・2・3月は「春」、4・5・6月が「夏」です。古来、日本人は(日・月・星)の力を借り「個人や国家の護りと導き」を願いました。
五節句は節目の祭事で、その季節特有の自然の変化を絵画。歌、物語などの素材として生活に彩りを与え、今の私達をも潤してくれます。空を見上げたり野山を散策して、日本特有の季節を感じる心を持ちたいもの。「七夕伝説」もその一つ、擦れ合う音が神様を招くとされる笹の葉、結ぶ短冊に書く願い事も思い浮かべてみては。
文月・文月 短冊に字を書き、書の上達を願った七夕行事に因む。
昔、山は聖地で登山は信仰行事、禁を解くことを山開きといった。富士山の山開きは10日に行われ、夜には手筒花火が打ち上げられる。
梅雨の終わり頃は天地に毒気が満ち、半夏という毒草が生ずる。「チュウ(夏至)ははずせ、ハンゲ(半夏生)は待つな」と言われ、田植えは夏至が済み半夏生に入る前が良いとされ、蛸の足のように広く根付くようにと蛸を食す風習も。
有名な入谷鬼子母神は、感染症拡大防止のため中止。朝顔の歴史は古く遣唐使(650年頃)により到来、古典園芸植物のひとつで当初は薬用として珍重に万葉集などの「朝顔」は本種でなく「キキョウやムクゲ」を指す。江戸時代に 鑑賞用が大ブームに。
梅雨明け、本格的な夏の到来。暑中見舞いの時期。
川に機織棚を作り、盆に戻る祖先の霊のため、布を織る女性「棚機女」に由来。天の川(銀河)を隔てて、一年に一度の逢瀬を許された織姫と彦星の「七夕伝説」は多くの伝承や物語があり、今もノスタルジックな星逢いの空を演出している。
日本ゆかた連合会が1981年に制定。七夕の日、女の子は色糸を結び七本の針と瓜を供え、裁縫の上達を願い衣類に感謝した。中国の故事に因む。
没後、百年を迎える森鴎外【1862〜1922】の忌日。島根県津和野出身。東大医学部卒業後、軍医としてドイツで四年間過ごし、小説『舞姫』、若き童話作家アンデルセン【1805~1875】がイタリアを巡る自叙伝『即興詩人』の翻訳、典雅な文語体訳が原作以上と評された。これに影響された同郷の画家・安野光雅【1926~2020】はイタリアの所縁の地を巡り、スケッチを残している。鴎外の住居跡・文京区の鴎外記念館では講座・講演会・コンサートなどが開催される。
浅草寺では結縁が多い日で、観音詣をすると四万六千日分の功徳が得られるという。
13日・迎え火 16日・送り火 祖先の霊を供養する行事。東京周辺は明治政府の太陽暦改暦に柔軟に対応できたが地方は農業中心の為、ひと月づれ、今に至る。
1995年制定 第三月曜日、夏休みの始まる頃。海洋国日本の繁栄を願う日。
この日から立秋までが名実ともに暑さの盛り。
鰻を食する習慣は千年以上前からで「万葉集」の大伴家持の歌に「石麻呂に吾物申す夏痩せによしと云ふ物ぞ うなぎ取り召せ」がある。
18世紀末のシャンソン”Ah! Vous dirais-je(あのねお母さん)英国の詩人テイラーが1806年、「The Star」の替え歌として発表した” Twinkle,twinkle, little star(きらめく小さなお星様)”が童謡として世界的ヒット、多国語に翻訳され世界中で愛唱されている。
きらきらひかる お空の星よ
まばたきしては みんなを見てる
きらきらひかる お空の星よ
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