「年が改まるという年始に(何度も)遭(あ)って来たがどうして我が身は古くなっていくのだろう」
花山院【968-1008】
「思っていることも改まる春なのだから、つらい身の上だけど暮の準備をしよう」
章義門院【?-1336】
「あらたま」は「年」や「春」にかかる枕詞。数え年では元日に歳をとるので自分が古くなるのは当然なのに、古人は時間を円環(=輪)として捉え、一年でリセットされるとの思いから詠んだ歌が多くあります。時間は直線的に推移するというのは現代人のイメージ、古人は様々な物事は新年でリセットされるので辛い身の上だけど暮の準備をしようと詠います。元日の朝に若水を汲みを口を濯ぎ、飯を炊くのは「若水=生まれ変わる霊力=再生」があるからと。「新しい年にまた新しい自分に生まれ変わる」古人のような気持ちで新年を迎えたいものです。
目次
睦月(むつき) 正月に親類一同が集まる、睦び(親しくする)の月。
「元旦」の「旦」象形。太陽が地平線から姿を現す様。初日の出を拝し、門松で年神様を迎え、若水を汲んで供え、雑煮やおせちを食べ、初詣をする習わしは今も。
天皇皇后両陛下・皇族の方々が、三権の長「衆議院と参議院の議長・内閣総理大臣・最高裁判所長の四人」在日大使とその配偶者から新年の祝賀を受けられる儀式。
天皇皇后両陛下・皇族の方々が宮殿東庭長和殿ベランダにお出ましになり国民から祝賀を受けられる。概ね五回。前年までの事前申込制をやめ希望者が入場できる。
(2日・3日)大手町から箱根までの往復・217.9㎞で争われる。100回を記念して予選通過校数を3校増枠、関東だけでなく全国の大学が出場。昨年の1・2・3位は、駒沢大・青学学院・国学院。
1873(明治6)年から法律で定められ,た官公庁での新年最初の事務を行う日。
寒の入り。節分まで寒の内。芹が生え、泉の水が溶け、雉が鳴き始める。
邪気を払う七草粥を食した古代中国の「七日正月」に由来。日本は平安時代に始まり江戸時代に定着。春の七草「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」
君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ 光孝天皇
門松や注連(しめ)飾りを取り払う。松払い・松送り(関西は十五日に行う所も)。
ハッピーマンデー制度で第2月曜日に。1999年までは15日。日本独特の行事で他の国にはない文化。民族衣装の着物を着るのは世界的に評価。 振袖を着るのは「振る動作」が厄払いや清め、神の御加護で安寧を祈願する意味も。
年神様や仏に供えた鏡餅を下げ、食す。切るは切腹を連想させるので木槌などで割り「切る」「割る」の言葉を避け「開く」という。
今年のお題は「和」。皇族のみならず国民からも和歌を募集し、著名な歌人に選歌を委嘱、するようになったのは昭和22年。それにともない天皇陛下が決められる御題も平易なものに。
1995年のこの日、死者約6300人、30万人以上が被災。「防災とボランティアの日」として制定。神戸市で「1.17のつどい」を開催。
「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」
暦便覧【1787年】
1975年 詞、曲 中島みゆき【1952-】
「めぐる”時代と”まわる”時代」このふたつの表現で見事に「輪廻転生」を思わせる歌詞。五十年近くも聴き継がれ、著名な歌手等がカバーし歌い継ぎ、その歌詞のように生まれ変わり、多くの人々とのめぐり逢いを繰り返す歌。谷川俊太郎に多大な影響を受け「音楽好きというよりは言葉好き」と語るほど歌詞にこだわった。普遍性と説得力に富んだ深遠な世界観は多くの人に言及された。後年、卒業式での歌唱や音楽の教科書に掲載など親しまれ、2007年に「日本の歌百選」に選ばれた。
今はこんなに悲しくて涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ
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