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「正月の春の初めに こんなふうにみんなで共に笑いあうというのは まさにこのときならではのこと」
「明けまして おめでとう ございます」年が明けて、初めて口にするこの言葉。もともと日本人の祖先は「アニミズム信仰(全てのものに命がある))で作物の生命と人間の生命〔魂〕は一つの物で死ぬと「魂」は別世界に行き、一定期間過ぎると個人から祖霊集団「ご先祖様」になると言われます、そして祖霊(先祖)は、春になると「田の神」秋が終わると山へ帰って「山の神」正月には「歳神」になって子孫の繁栄を見守ると言います。「明けましておめでとうございます」は、年が明け、歳神様を迎える祝福の言葉、 神様への感謝の言葉を交わし、門松を立てて歳神様を迎えた事を喜び合いましょう。
睦月 正月 一家がなごやかに、睦みあって日を送る月。「生む月」の説もある。
早朝、天皇が束帯(そくたい=公家の正装)を召され、伊勢神宮の皇大神宮・豊受大神宮 に向い拝礼した後、四方の諸神を拝し(四方拝(しほうはい)一年間の豊作と無病息災を祈る。
氏神様や年の恵方(北北西)に当る方角の社寺にお参りその年の無事と平安を祈る。
両陛下・成年の皇族方が宮殿で参賀を受けられるが今年は中止に。
★第98回 箱根駅伝 ◆シード校1位駒大 2位創価大 3位東洋大 4位青学大 〔※昨年順位〕
観客は自粛要請されるが、各校のOBや応援団の沿道活動も一切禁止・ゴールでの円陣や 声かけも禁止だが前回禁止の胴上げは、二季ぶりに優勝の胴上げが見られるかもしれない
官庁で年末年始の休みが明けて、その年の最初の事務を執ること。
冬至から十五日目。寒の入り。節分(立春の前日)までが寒の内で厳寒の時期。
人日の節供(七種の節供)。前夜に「七草なずな唐土の鳥が渡らぬ先に合わせトントン・・」と農作物の害虫を追い払う「鳥追い歌」にいう歌いながら包丁で叩き、朝の粥(かゆ)に入れ一年の邪気を払う。
大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます。
年神様が宿った鏡餅には魂が吹き込まれているとされ、その力を授かり無病 息災を願い食べるまでが鏡開き。切る・割 るの言葉を避け、末広がりの「開く」を使う。
小正月に行われる火祭。地方により呼称・日にちも異なる。
(とんど、どんと、さいと焚きなど。松飾りなどで焼いた餅食べると無病息災で過ごせる。
元日の大正月に対してこう呼ぶ。本来この日までが「松の内」。
令和四年の歌会始のお題は「窓」。元は上代、貴族等が集い和歌を披露しあう
「歌会」で年の始めに行う。現在では宮中歌会始の他に京都冷泉家(公家の流れを汲む) のものが有名で、狩衣や袿などの平安装束で数十名が集って行なわれる。
厳寒の最中だが春の兆しも。
曲 瀧廉太郎【1879~1903】
明治34(1901)年発行の「中学唱歌」掲載。詞には李白の詩や中国の故事・古典歴史由来の事項を多く盛り込んでいる。「箱根の山は天下有数の険しい難所で中国の関所・函谷関(かんこくかん)も比べ物にならない。非常に高い山、深い谷、山が前にそびえ谷が後方を支える。昼でもなお暗い杉並木、羊腸のようなくねった小道は苔むし滑りやすい。一人の兵士が関所を守れば万もの兵が攻めても落ちない。国中を旅する不屈の武士が大刀(たち)を腰に差し高足駄をはき岩だらけの八里の道を下駄を鳴らして進む。昔の武士はそのような格好や振る舞いだった。」
箱根の山は 天下の嶮(けん)
函谷關も ものならず
萬丈の山 千仞の谷
前に聳へ 後方に支ふ
雲は山を巡り霧は谷を閉ざす
昼猶闇き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑らか
一夫關に當るや萬夫も開くなし
天下に旅する剛氣のもののふ
大刀 腰に 足駄がけ
八里の岩根 踏みならす
かくこそありしか往時のもののふ
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