目次
<書き下し文>
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
峰火 三月に連なり
家書 萬金に抵る
白頭掻いて 更に短かし
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
冒頭の「国破れて山河あり」は松尾芭蕉の「奥の細道」にも引用され、中・高校の教科書にも掲載の日本人にとって馴染み深い、盛唐の詩人・杜甫の五言律詩、「春望」の一節。杜甫【712~770】は李白【701~762】と並ぶ中国詩歌史上の最高の存在で李白は「詩仙」杜甫は「詩聖」と称されます。国は滅び城は破壊されても、自然は悠久でいつまでも残り続けるところに深い感慨を覚えて詠ったもの。新感染症禍によって繁華街は様変わりし、話す言葉の空間制約や行動の制限は、心に多くの澱(おり)を残しました。しかし自然は少しも変わらず町は春を迎え、草木が生い茂り、花も時世の様子に悲しみながらも咲き誇っています。今はまだ疾風の中ですが「疾風に勁草を知る」という諺が胸に響きます。
旧暦で卯の花が咲く月。(う)は「産(うい)=うぶ)で農耕初めの月。
人をからかうような、害のない嘘をついてもよいという西洋の風習。日本では江戸時代「不義理の日」とされ、普段、不義理な人に手紙を書き、詫びた日。
年度とは、暦年とは別の特定の目的の区切り方。明治維新後、政府は財政困難の調整の為に何度か変え、明治十八年に四月が年度初めになり、学年度もこれに倣った。
1911(明治44)年、110年前、日本橋が木橋から石橋に架け替えられた。 江戸時から現在まで国道の起点として橋の中央に「日本国道路元標」。近年、日本橋の景観を取り戻そうというプロジェクトが動き出し首都高日本橋地下化が進められている。
清浄(せいじょう)明潔(めいけつ)の意。万物が清らかに明るくしている様を表した言葉。
紀元前五世紀前後の北印の人物で仏教の開祖「仏陀・釈迦(しゃか)」の誕生日とされる日潅は灌(そそ)ぐの意で、誕生の時、九頭の竜が天から水を灌ぎ産湯をつかわした事、釈迦の生母、摩耶夫人が六本の牙を持つ白い像が体内に入る夢を見て身ごもった事になどの伝説がある。釈迦誕生の木が無憂樹(むうじゅ)、入滅の木は沙羅双樹(さらそうじゅ)、開眼の木が菩提樹で仏教の三大聖木。インドなどの寺院には必ず色布を巻かれた菩提樹が植えられている。
27歳で逝った、近代日本を代表する歌人・石川啄木【1886~1912】の忌日。
東海の 小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる [一握の砂]
与謝野鉄幹に師事、口語体三行書きで生活を短歌に詠んだ。評論「時代閉塞の現状」歌集「一握の砂」「悲しき玩具」など。故郷の盛岡市渋民に1970年、記念館が開館。生涯、貧困の中にあった啄木が「理想の家」を詩に託した白い西洋風の家が1986年の生誕100年に建立。
百(ひゃく)穀(こく)を潤し、新芽を出させる春の雨を表現した言葉。
昭和天皇の誕生日。1989年、昭和天皇崩御後は「みどりの日」、2007年からは「昭和の日」、「みどりの日」は 五月四日に変更。GWの初日。
詞・曲 東辰三【1900~1950】 1947年
日本ビクターの戦後最初のヒット曲。歌唱の平野愛子【1919~1981】は1945年(昭和20年)全国歌手募集で選ばれ、歌声は「濡れたビロウド」と称され、後に「君待てども」などがヒット。ちあきなおみ、藤圭子、美空ひばり、石川さゆりなど、多くの歌手がカヴァー。1962年・開園の横浜「港の見える丘公園」はこの曲に因み命名、園内には歌碑。東辰三の出身地・神戸の歌としても親しまれる。東の息子の作詞家・山上路夫【1936~】は作曲家のいずみたく【1930~1992】と共同で流行歌や明治チョコレートのCMソング「世界は二人のために」・「夜明けのスキャット」TVドラマ『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」など多くのヒット曲を手掛けた。
あなたと二人で来た丘は
港が見える丘
色あせた桜唯一つ
淋しく咲いていた
船の汽笛むせび泣けば
チラリホラリと花びら
あなたと私に降りかかる
春の午後でした
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